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2024年2月13日(火)
- ひとりごと
多様化するお葬式
こんにちは。
一級葬祭ディレクターの林直哉です。
今回ちょっと長文です(;^ω^)
私は群馬県で葬儀の専門学校の講師を務めておりますが、この度その期間を満了し、今年度が最後です。
2年半ほど葬祭ディレクター学科の授業を担当しました。
その授業の中で、生徒自身がオリジナルで葬儀の中身を考える模擬葬儀が2回ありました。
1回目は昨年の6月に、いわゆる社会通念上の葬儀を行いました。
次の2回目の時に、葬儀は葬儀でも完全オリジナル葬を創作して挑んでいました。
中身を少し紹介します。
オリジナル葬では、自由な設定を与えるのですが、なんと故人本人が生前にメッセージをとっていたというものでした。
言われてみれば想像できることかもしれませんが、実際はなかなかそれを行う人はいません。
開式早々にまず故人本人のメッセージが映し出され、なぜこういう会になったかを参加者が知ることになります。
宗教者はいません。
祭壇は設けずスクリーンに映し出された故人の写真画像や、ムービーが祭壇の代わりに棺の後ろに映し出されていました。
焼香ではなく、献灯と献花。献灯することの意味を参加者に伝え、気持ちを込めてローソクに火をともしていました。ちょうど「灯篭流し」と同じ感覚になります。
そして故人の好物であるケーキを小さいサイズで参加者分用意し皆で食べたり、友人からの手紙を読んだりと、一見結婚式の要素ともとれるものもかなり入っていました。
きっと、この学校はブライダル学科の生徒たちもいるので、葬儀の先入観を持たずに企画できているからだと感じました。
参加者からの感想はとてもすばらしいもので、
「こういう葬儀だったら、
私のときはこれがいい」
というような声が大多数でした。
6月に行った模擬葬儀は通常の葬儀。
だから2回目とのギャップがすごかったことも影響したと思います。
形式ばった意味を分かっていない「葬儀」よりも、故人を中心として、集まるひとも故人と親しい人で、故人を感じられ思い出し、
心が温かくなる要素がある葬送のセレモニー。
これは考えた生徒自身が、
「私たちはこういうカタチがいい」
という想いからできたものです。
ここで一番準備が大変なのは本人のメッセージ動画です。実際いないからです。
しかし、「動画で残す」というカタチでなくても、
「エンディングノート」というものはかなり知られています。
カタチは違っていても中身は同じです。
本人が今どういう気持ちでいるのか。
どのような人に集まってもらい、
どのように送って欲しいのか。
そこに書いてある様々な気持ちが背景となり、
結果「こうしてほしい」「自分はこうしたい」
というものが自然と導かれます。
この気持ちを考える時間というものがとても貴重で尊いものです。
本人が集まった人に対して、自分の想いを伝える。そして一緒にすごしてきたいろいろな思いでと共に、感謝を伝える。
本人動画もエンディングノートに書かれた想いも、こういうことを想像しながら作成するものです。
自然と感謝の気持ちから、心がほっこりしてきます。
いい友人に会えたんだな とか
家族でいてくれてありがたかった とか
私の人生を充実させてくれたのはあなたたちだった とか
いろいろですね。
100人いれば100通りのお葬式という言葉を使う会社もありますが、本当にその通りだと思います。
エンディングノートや生前のメッセージがあり、
故人本人の想いに触れられるということは、完全にオリジナルです。
ただ一つのメッセージ、ただ一つのワードがお葬式を二つとないものに変えてくれます。
その言葉や思いに触れたとき、故人を送る参加者も故人に「今までありがとう」と伝えたくなる気持ちになるに違いありません。
参加者は故人と縁のある方々なのですから。
コロナ前までは義理で参加するということも多々あったと思います。
家族葬というひとつのカタチが増え、コロナ禍で強制的に繋がり方が絶たれてしまいましたが、
今、その経験を経て新しいカタチになろうとしています。
模擬葬儀に参加した生徒全員の感想文を読ませてもらって感じました。
今の若い世代はお葬式の意味を知らない。
知らない中でも考えられるのは、
お葬式は本当に気持ちのある方々が参加し、中身のある温かい送り方ができることのほうがいいということ。
これはほぼ全員共通の感想でした。
まだ20歳前後の生徒さんたちですが、私は若い世代の捉え方を学んだ気がします。
もっと葬儀というものを考え、多様化するニーズに対応して変化していかなければならないと思います。
今回言いたいことは、私たちは変わっていかなければならないということです。
まだまだできることがある。しっかり変化対応していきます!
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